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庭の王国への旅 45

2015年12月30日 11:27


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 星の娘は、ゆっくりと両目を開いた。

 横たわった自分を包み込む透明なキャノピー越しに、照明の消えた天井が見えた。

 彼女が身を起こすと同時、その動きを感知して滑るようにキャノピーが開き、部屋が明るくなった。

 ひどく寝坊した朝のように頭が重かったが、他にはどこにも不調を感じることはなかった。

 時空跳躍ゲートと呼ばれるその空間には、彼女が今まで入っていたのと同じ、繭のような形状の跳躍用のカプセルがいくつも並んでいた。

 そのうちのひとつが開き、老人が静かに起き上がった。

 二人はしばらく、大作映画を観終えた観客がするように、無言で座り、顔を見合わせ、それまでの経験を噛みしめあった。

 やがて、老人はゆっくりとカプセルのふちから身を乗り出し、モニターに示された数字を確認した。

「三百五十九日と、二十時間、四十四分。――地上の時の流れではな。」

「まあ……」

 星の娘は銀色の髪に指を差し入れ、こめかみを軽く押し、首を左右に傾け、ゆっくりとカプセルの壁を押し、その部分を開いて床に降り立った。

 それから、急に振り返ってカプセルのふちに両手をつき、中を覗き込んだ。

「あった!」

 彼女が取り上げたのは、色とりどりの細長い布を束ねたものだった。

 彼女はそれを胸に押し当て、手放したら消えてなくなるのではないかと疑うように、しげしげと見た。

「あたくし……本当に持ってくることができるなんて、思っていませんでしたわ。
『はてしない物語』のバスチアンでさえも、生命の水を持ち帰ることはできなかったのに。」

「いいや。彼は、生命の水を持ち帰ることができた。そうじゃろう?」

「ああ……そう、確かに、そうでしたわね。」

 星の娘は、ちょっと笑って、またこめかみを押した。

「あたくし、まだ少し、頭がぼんやりしているようですわ。
 ――おじいさまは、ちゃんと、あれをお持ち?」

 問いかけに応えて、老人はふところから、青紫色の小さな缶を取り出した。

 振ると、かさかさと小さく乾いた音がした。

「あれほど何度も、水に浸かったわりには、見事な保存状態。」

「本当に。きっと、砂漠の魔女さんの力ですわね。」

 自分たちだけに通じる会話でくすくすと笑った星の娘は、うんと背中を逸らし、大きく肩を回した。

「三百五十九日ですって! それほど長かったなんて。
 ――いいえ、本当は、もっと長くいたような気がするけれど。
 あたくしたち、危うく、地上の丸一年もこちらを留守にするところだったのね。
 アウローラさん、元気にしているのかしら?」

「行こう。」

 老人も床に降り、腰をとんとんと叩きながら言った。

「彼女はきっと、待ちくたびれておるよ。」



 ふたりがほとんど一年ぶりに執務室に入っていったとき、その部屋は薄暗く、しんとしていた。

 だが、黒髪の娘は、そこにいた。

 執務机のライトだけを灯し、こちらに背を向けて、いつものように頬杖をつき、灰色の椅子の上に足を組んで座っていた。

 彼女の前にはいくつものディスプレイが並んでいたが、今、そのどれにも光は灯っておらず、彼女はぼんやりと宙を見つめながら、手にしたティーカップをゆっくりと回して、中身を揺らしていた。

 執務机の上には、何冊かの書物が無造作に置かれていた。

 トゥキュディデス著、藤縄謙三訳『歴史』、アーシュラ・ル=グウィン作、清水真砂子訳『さいはての島へ』、トルーマン・カポーティ作、村上春樹訳『ティファニーで朝食を』――

 星の娘と老人は黙ったまま顔を見合わせ、しばらく視線と表情だけでやりとりをした末、老人が一歩、進み出て、咳ばらいをした。

「うわ。」

 と黒髪の娘は言い、カップの中身をこぼしそうになりながら振り返って、立ち上がった。

「あ、二人とも、おかえりなさい。」

「ええ。」

 星の娘は、複雑な表情で言った。

 一年近くも、大いなる旅のために留守にしていたというのに、このような出迎えは、ひどく軽々しいものに思えたからだ。

「アウローラさん、お元気にしていらした?
 あたくしたち、ずいぶん長く、こちらを空けてしまいましたわね。」

「ええ、いや、なに。大丈夫ですよ。こっちには、ボレアルくんやヘリオスくんもいましたし。
 あ、ちょうど今、休憩にお茶を飲んでいて、フォーチュンカップのことを考えていたんですよ。
 紅茶占いの。買おうかどうしようかってね。
 知りませんか? 昔、流行ったんですよ、だいぶ昔にですけど。」

 黒髪の娘は、そこまで一気に喋ってから、じっと二人を見つめた。

 そして、もう一度、

「おかえりなさい。」

 と言った。

「ええ。」

 星の娘は、微笑んだ。

「素晴らしい旅だったわ。アウローラさんが昔、見た景色を、あたくしたちも見てきたの。」

「とても、きれいなところだったでしょう?」

「ええ、本当に。――最高の空だった。」

 星の娘が差し出した色とりどりの布の切れ端を、黒髪の娘は受け取り、まるでそこに物語が書き記されているとでもいうかのように、じっと見つめた。

 次に顔を上げたとき、彼女は懐かしそうに笑っていた。

「隊長、元気にしてるみたいですね。」

「もちろんじゃ。それに、他の人たちにも会ったぞ。」

 老人が進み出て、青紫色の小さな缶を差し出した。

 黒髪の娘は、目を見開いて動きを止め、それから、そっとその小箱を受け取って、開いた。

「ああ――」

 黒髪の娘はそう呟き、長いこと黙っていた。

 泣き出すふうでもなく、笑うわけでもなく、ただじっと砂糖漬けのボリジの花を見つめるその目には、過去が海のように満ち、あの空が映っていた。

「お茶を、」

 と、やがて、缶の蓋を閉じ、黒髪の娘は言った。

「もう一度、お茶を淹れましょう。一番、上等なやつを。
 あのひとが淹れてくれるお茶の味には、かなわないにしてもね。」

「ええ、そして、その席で、あたくしたちの旅の話をすっかり聞かせてさしあげるわ。」

 星の娘は笑って、身をひるがえした。

「あたくし、沸かしたてのお湯を持ってきますわ。茶葉とティーセットの用意をお願いしますわね。」

「では、わしはヘリオスと、ボレアルくんを呼んでこよう。」

 老人も、急いで部屋を出ていった。

 遠くから「おうい、帰ったぞ。」と叫ぶ声と、それに応じるにぎやかな声が聞こえてきた。


 ひとり残された黒髪の娘は、色とりどりの布の切れ端をあらためて取り上げ、つくづくと眺め、

「そう、覚えていますよ。――最高の空だった。」

 強く胸に押し当てたそれを、そっと、机の引き出しにしまった。




 そして物語と歌は終わることなく、世の果てた後までも、永遠に響き続ける――





    【庭の王国への旅 完結】


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