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庭の王国への旅 43

2015年12月27日 19:15

    *      *     *     *


 ふたりは二の女王のあとに続き、大温室を出て、長い螺旋階段を降りていった。

 仮面の男がそのあとから続いた。

 がらんとした明るい広間や、ゆるやかに曲がる廊下を通り抜け、いくつもの階段をくだり、一同は進んでいった。

 そのあいだ、誰も、何も喋らなかった。


 やがて、外の光をとりいれていたたくさんの窓がなくなり、金色のランプの灯りがゆらめく薄暗い廊下となり、そのランプも少しずつまばらになっていった。
 
 いつしか一同は、黒い石を掘り抜いてつくられた暗いトンネルの中を、一列に並んで歩いていた。
 
 トンネルの壁と天井とは、ひとつづきのアーチになっていて、手を伸ばせば両側の壁にも、天井にも触れることができるほどの広さしかなかった。

 壁には一定の間隔で小さな窪みが掘られていて、そこに一本、あるいは数本のろうそくが灯され、辛うじて足元を照らしてくれていた。

 その灯りが床に反射して、濡れたような光を放っていた――いや、いつの間にか、床は実際に濡れていた。

 果てがないように思えるほど、長く歩くあいだに、空気には少しずつ湿り気が増し、気のせいだろうか、重さすら感じるようになってきた。

 星の娘と老人は、どちらも何も言わず、まっすぐに歩く女王の背に続いて歩き続けた。


 やがて、踏み出した一歩の音が不意に大きく反響した。

 一同は、がらんとした地下のドームのような場所にいた。

 入口の両脇の窪みに、それぞれ一本ずつ灯された蝋燭のほかに灯りはなく、天井は闇に消えて、どこまで高さがあるのかは全く分からなかった。

 濡れた石の床の中央には、腰の高さほどの円形の石組みがあり、そこには満々と水が湛えられていた。

 不意に、どことも知れぬ上方から、一滴の雫が落ちてきて、水面を叩いた。

 高い、澄んだ音が壁に幾重にも反響し、いくつものこだまとなって再び上方へと昇っていき、消えた。

「あなたがたは、この城に入るとき、」と女王が言った。「水の中を通ってきましたね。今度もまた、水の中を通っていくのです。」

「まあ。」

 星の娘は、嫌な予感はしていたがやはりそうだった、という調子で言った。

「あたくし、――ええ、もし、どうしてもその必要があるというのなら、行きますわ。
 でも、あたくし、正直に申し上げて、もう二度とあのひとには会いたくありませんわ!」

「あのひと?」

「あの、横柄な、蒼白い顔をした、――夜の王。」

 星の娘は、小さな声で言った。

 こんな暗い場所でその名を口にするのは、適切なこととは思えなかったのだ。

 女王は微笑んだ。

「あなたが愛する、星や、月や、太陽の光があるならば、その反対側には、闇もまたあるのです。
 でも、心配することはありません。この先は、彼の領域ではない。
 彼が治めるのは、地下の黄泉の国。この先は、黄泉の国にはつながっていませんから。」

「それなら、安心ですわね。」

 星の娘は言ったが、暗い水面を用心深く見つめる目つきは、ことばほどには安心していなかった。

「でも、きっと、とても冷たいのでしょうね? それに、どれくらい長いのかしら?
 もしも、途中で息が切れて、溺れてしまったら――」

「大丈夫。」女王は言った。「水面に、触れてごらんなさい!」

 星の娘と老人は、顔を見合わせた。

 すぐに、老人が前に進み出て、真っ暗に見える水面に手をひたした。

「おや!」彼は叫んだ。「これは水ではない。――お湯じゃ。ぬるま湯と言ったほうがよいかな。ちょうど気持ちがよいくらいの温度じゃ。」

 星の娘も進み出て、水面に手を触れてみると、確かにそれは人肌ほどの絶妙なあたたかさをもっていた。

「この水は、普通の水とは違います。」女王が言った。「この中では、溺れるということがありません。息ができるのですから。」

「水の中で?」

 星の娘は、驚いてきいた。

「ええ。」

「どうやって?」

「潜ったら、息を吐き切って、それから、思い切って吸い込めばいいの。」

 そんなことをしたら鼻がつんとなるし、それこそ溺れ死んでしまうわ、と星の娘は思ったが、それを口に出しては言わなかった。

「潜ったら、わしらは、どちらへ行けばよいのですかな? 下へ、それとも、横へ?」

「何もしなくてよいのです。流れが、あなたがたを運ぶでしょう。――さあ。」

 女王が腕を振って、暗い水面を示した。

「では、わしから行こう。」

 すでに覚悟を決めたように、老人が言って、水を満々と湛えたふちに足をかけた。

「おじいさま。」

 思わず、星の娘は引き留めようとしたが、それよりも早く老人の体はぐらりと前にのめり、ほとんど一回転するようにして、暗い水の中へはまり込んだ。

「おじいさま!」

 老人の姿は、まったく見えなくなった。

 浮かび上がってくることもなかった。

 星の娘はもはや女王をふりかえって見ることもせず、思い切り息を吸い込み、息を止め、一気にふちを踏み越えて水の中へと身を躍らせた。


 一瞬にして、あたたかい水が身体を包みこむ感覚があった。

 星の娘は真っ暗な水の中で必死にまぶたを開き、目を凝らしたが、自分の身につけた衣から湧き上がる無数の真珠のような泡の他には何も見えなかった。

(息ができない。)

 本能的な恐怖に襲われて身をもがいた星の娘は、急速な息苦しさが頂点に達したとき、堪え切れずに水を吸い込んでしまった。

(ああ、だめ、溺れて死ぬわ、――あら?)

 あたたかい水が鼻と喉を滑るように抜けていき、肺をいっぱいに満たし、口に溢れた。

 星の娘は、自分が、暗い水の中で呼吸をしていることに気付いた。

 ほとんど信じられない気分で、星の娘は縮めていた両手足をそっとのばしてみた。

 水中で重みを失った体は、まるで何もない闇の中に浮かんでいるかのように感じられた。

 しかし、宙に浮いているのとは違い、周囲すべてを水が取り巻いている感覚があり、それは不思議と安心感をもたらすものだった。

(沈んでいく――)

 小さな泡の粒が動いてゆく向きから、上下の区別はついた。

 手足を動かしてもいないのに、星の娘の体はぐんぐんと沈んでいた。

 まわりの水そのものが動いて、彼女の体を下へ下へと運んでいるようだった。

 それでも、不思議と怖くはなかった。

 星の娘は口から最後の空気の小さな泡の粒を吐き出し、力を抜いて、全身を水にゆだねた。

 まるで平和な夢を見ているように、穏やかで、安心しきった気分だった。

 やがて星の娘は、自分が流されている場所が、もはや広い暗闇の中ではなく、硝子でできたような、太く透明な管の中であることに気付いた。

 目を上げると、その長く太い管がゆるやかに曲がり、螺旋のように渦巻いたり、波打ったりしていながら闇の彼方へとのびていくのが、透明な壁ごしに透けて見えた。

 やがて、闇の中に、いろいろなものがぼんやりと浮かび上がって見えはじめた。

 それは、はじめは白っぽいもやか、砂粒の集まりのようにしか見えなかった。

 それが闇のあちこちにあって、宇宙に似ていた。

 それらはやがて、無数の小さな生き物のかたちになり、闇のあちこちに、静かに漂っていた。

 泳ぐもの、這うもの、飛ぶもの――

 どういう性質のものかよく分からない、奇妙な姿をしたものたちもたくさんいた。

 とびはねるもの、走るもの――

 声のないもの、その身を打ち鳴らすもの、吠えるもの、笑うもの――

 生き物たちの姿はどんどん多様に、複雑になり、それらがみな眠っているようにじっと浮かんでいた。

(命の海……)

 無限の闇をゆく管の中を漂いながら、星の娘は、ふとそんなことばを思った。

 いつのまにか、音が、聞こえていた。

 それは声でも音楽でもない、ずっと鳴り続けていたためにこれまでそうと気付かなかった、ただひとつの途切れることのない音だった。

 その音は周囲に広がる闇とひとつのものであり、闇に果てがないのと同じように、その音にもまた終わりはなかった。

 星の娘は、本当の無限というものを全身で感じ取ったのはこれが初めてだった。

 おそろしさや感激などという名をつけることのできない、原始的な感覚が彼女をつらぬき、彼女は泣き、その涙は彼女を包む水にとけた。

 彼女を運ぶ管が、白い光に包まれ、彼女は顔を両手でおおった。


 長い時間が経ってから、星の娘は、そっと自分の手を顔の前からどけた。

 そして、自分はどこの遺跡に迷い込んだのだろうかと思った。

 彼女はいつのまにか、髪からぽたぽたとしずくを垂らしながら、浅い池の中にひざまずいていた。

 その池は、鈍い銅色に光るタイルにかこまれ、ひとつひとつのタイルに、何かの物語をあらわす模様が線で彫られ、ところどころには色もついていた。

 その彫刻は彼女が膝をついている浅い池の底にも、びっしりとほどこされていた。

 彼女は立ち上がり、見上げた。

 彼女がいるのは、灰色の床に、砂色の壁の細長い部屋だった。

 あたりがとても明るいのは、砂色の壁が右側にしかなく、左側は、床と同じ灰色をしたアーチ型の門が、縦にも横にも幾列も並んで、大きな格子のようになっているからだった。

 アーチの向こうはすべて、青い空だった。

 部屋の天井は恐ろしく高く、見上げても見えないくらいだった。

 そして、彼女の前にはいつのまにか、砂色の岩でできた、天井と同じくらい高くまでのびる階段があった。


 星の娘は、迷わず池から踏み出し、その階段をのぼっていった。

 濡れた衣のすそが階段にこすれ、跡を残した。

 右手の壁には、池にあったのと同じような、ただしそれよりももっと大きな、物語のレリーフがほどこされていた。

 レリーフは壁の全面にほどこされているようだったが、星の娘は、せいぜい自分の背丈の高さの二倍あたりにあるものまでしか、はっきりと見て取ることはできなかった。

 戦いの様子や、花々、鳥たち、姫君たち、魔女たち、川、風、竜――

 その表面に手で触れると、それがどういう物語なのか分かった。

 そこには、かつて庭の王国で起きた出来事、一の女王と呼ばれた少女が、ときにはひとりで、ときには妹と共に、この国を歩いた頃のことが記されていた。

 緑色の竜の物語、大嵐ッ子が遊びに来たこと、高い樹の上に天文台が築かれたこと――

 ウォラウォラ鳥の襲撃、仕立屋マーサの物語、夜の王の騎士たちの物語――

 魔女の庭に薬草園が作られたこと、真珠とり、オニユリの祖母の結婚、軍病院の建設、春には娘たちが花びらを金の糸でかがってドレスを作ったこと――

 文字に書かれず、誰に語られることもなかった無数の物語たちが、この壁にすべて彫り込まれ、記録され、永久にここにある。

 星の娘は、壁に触れながら、のぼり続けた。


 やがて、物語は彼女たち自身のことにまで及んだ。

 かつてこの国を旅立った一の女王のかわりに、長い時を経て、ふたりの旅人が庭の王国に来たこと。

 ふたりが王国の衛兵たちに出会い、砂漠の魔女に会い、オニユリと若者に出会い、軍病院の炎喰いの女性たちに出会ったこと。

 二頭の馬たちにおくられて〈流れたり流れなかったりする川〉にたどりつき、番人の男の子と大がえるのゲールに出会い、ケンタウロスたち、幼い女の子を抱いた母親と男の子、旅人に出会ったこと。

 あぶないところで全員が川を渡り、オニユリの茶屋へ行き、白オオカミの〈雪の王〉や鳥の魔女と出会い、小屋を借りて眠ったこと。

 翌朝、太陽が昇ったとき、翼の騎士たちが飛んできたこと。

 エレクトラ隊長と騎士たちとともに風祭の準備をし、夜には人々といっしょに踊りまくったこと。

 湖の妖精に惹かれた若者を追って、老人が林の奥に迷い込み、そこでオニユリの祖母に助けられたこと。

 オニユリの祖母におくられて、影の森を抜け、鎧を着た獣たちの爪をすり抜けて、湖の妖精たちのもとへ辿り着いたこと。

 妖精の娘が身を挺して星の娘を夜の王の手から救い、ふたりがようやく薔薇の城へと辿り着いたこと――


 星の娘はかすかな痛みを感じたように顔をしかめたが、足を止めることはなく、そのままのぼり続けた。

 レリーフは、薔薇の城での出会いを語り、それに続く日々の出来事を語った。

 そしてとうとう、ふたりが帰ることを思い出し、暗いトンネルを通り、あたたかく暗い水に飛び込み、命の海の中を通り抜けて、この長い階段を上ってゆくところまで来た。

(ああ、何もかも、すっかり書いてあったわ。――でも、この先は、いったいどう書かれることになるのかしら?)

 ちょうどそのとき、目の前に階段の終わりが見えた。

 暗い天井に、そこだけ四角く穴があいていて、その向こうは眩しくて何も見えなかった。

 星の娘は、細めた目の上に手をかざしながら、その穴を通り抜けて上がっていった。



   【庭の王国への旅44へと続く


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