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庭の王国の旅 42

2015年12月17日 19:42



 *    *    *     *    *


 どれほどのあいだ、そうやって過ごしていたのか、分からない。

 ある朝、星の娘はいつものように朝食をとり、その日の絵を全部見て回り、それから大温室にやってきた。

 はだしで、みずみずしくすべすべとした草の感触を楽しみながら歩いていた星の娘は、ふと、足先にひとつの草花を見つけて、立ち止まった。

 すみれの花が咲いていた。

 星の娘は草の上に両膝と両手をついて、小さな紫色の花に顔を近づけ、その香りをかいだ。
 
 そしてあらためて花の色を見たとき、不意にまどろみから醒めるように、星の娘は、思い出した。
 
 すみれの花と同じ色の、ボリジの花の砂糖漬けのこと。

 そして、それを届けるべき相手のことを。

「アウローラさん。」

 星の娘は呟き、しばらく呆然と膝立ちの姿勢でいた。

 ここに来てから、何日、経ったのだろう。

 あまりにも長い間、なすべきことを忘れ去っていたという気がした。

 ここがあまりにも心地好いものだから、帰るということを忘れていたのだ。

「アストライアくん。」

 急に背後から呼ばれて、星の娘ははっとして振り向いた。

 そして彼女は初めて、大温室で、老人の姿を見た。
 
 彼は、星の娘と同じ表情をしていた。

「今は、何日じゃろうか?」

「分かりませんわ。」

 星の娘は裾をはらって立ち上がった。

「あたくしたち、ずいぶん長い間、こちらにお世話になりましたわね。日を数えることも、忘れてしまうくらい。
 ――おじいさま、まだ、あれをお持ち?」

 星の娘がゆったりとした衣の胸に手を当てて言うと、老人はうなずき、青紫色の小箱を取り出した。

「早いとこ、これをアウローラくんに持って帰ってやらねばな。」

「ええ。あたくしたち、少しぼんやりしすぎましたわ。帰らなくては。」

「もうですか?」

 悲しげな声が聞こえて、二人は同時にそちらを向いた。

 草の上に、仮面の男が立っていて、仮面越しにもはっきりと分かるほど気落ちした様子でこちらを見ていた。

「ずっと、ここにいらっしゃればよいではありませんか。
 この城は素晴らしいでしょう? 一の女王陛下がお望みになった通りにできているのですよ。
 美しく、静かで、心穏やかに過ごすことができる――」

 彼は、大きく振った両腕を、力なく下げた。

「それとも、私の仕事ぶりにご不満でしたでしょうか?」

「いいや、あなたの仕事ぶりは、完璧でしたぞ。」

 老人は言い、仮面の男に歩み寄って、その腕を軽く叩いた。

「あなたのおかげで、わしらはこの上なく気持ちよく滞在することができました。本当にありがとう。
 だが、わしらは、もう行かねばならぬのです。」

「外の世界など、つまらないですよ!」

 仮面の男は叫んだ。

「くだらないことで煩わされて、しなければならないことばかりで――
 ここのように美しいものも、素晴らしいものもないのに!」

「そうでしょうとも。」

 老人は言った。

「ここよりも良いところがあるなどとは、わしには思えぬ。
 ちょうど一日のうちで、あたたかい毛布にくるまって完全に目覚める直前の一瞬、気持ちの良いまどろみの中に漂っているときが一番いいのと同じようにな。
 だが、わしらは、そこから出ていかなければならん。
 いかに心地好くとも、人は、いつまでも眠っているということはできないのじゃから。」

「あたくしだって、帰りたいとは思いませんわ。」

 老人のとなりから、星の娘も言った。

「こんな素晴らしいところ、決して、よそにはありませんもの。
 あたくしたちは、帰りたいのではなくて、帰らなくてはならないの。
 あたくしたちは、物語を語る者。ここのことを語るためには、ここに来て、そして、帰らなくては。」

「あなた方にも、とうとう、時が来たのですね。」

 三人は同時に振り向き、草の上に、青い髪の女王が立って微笑んでいるのを見出した。

「あの子も、かつて、ここから去っていった。
 あの子にもまた、しなくてはならないことがあったから。
 人が物語の世界に入るのは、そこで力を得て、そこから出ていき、もう一度、外の世界を歩くためです。
 あなたがたはここを去ってゆくけれど、心の中に、ここでの記憶を持ち続けるでしょう。
 その記憶が、困難な時にもあなたがたを支え、あなたがたを救うかもしれない。
 そして、いつか地上でのあなたがたの時が尽きるとき、そのときには、あなたがたは、再びここに戻ってくることもできるのです。
 もしも、あなたがたがそう望むのならば。
 人はみな、最後の瞬間には、自分が信じた物語の中に帰ってゆくのですから。」

 老人は頷いた。

「わしは、いつか、ここに戻るでしょう。アウローラくんが愛した、この国に。
 そして、幼い頃の彼女が出会った、たくさんの人々と、再びことばを交わすでしょう。」

 星の娘も頷いた。

「あたくしも、戻りますわ。その時が来れば、きっと。
 そして、あたくしはこの大温室で、一日中美しい花々を見て、夜には星を見て――
 そして、あなたが淹れてくれた、美味しいお茶を飲みますわ。」

 星の娘は、最後のことばを、仮面の男に向かって心を込めて言った。

 彼は、すぐそばで悲しい顔をして突っ立っていたが、星の娘のことばを聞くと、笑おうとするように口元を曲げた。

「それでは、」女王は言い、衣のすそをひるがえした。「ついておいでなさい!」



庭の王国への旅43へと続く


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