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庭の王国への旅 36

2015年08月29日 21:39


      *         *        *


 仮面の男は、老人の戸惑いが理解できない様子だった。

「二の女王陛下は、そのようなことをお気にはなさいません。
 あなたがたをお待ちでいらっしゃいます。」

「たとえ、そうでも……いや、どうしても、いけませんぞ。」

「ヘリオスのおじいさま。」

 断固として言い募る老人に、星の娘は、思わず言った。

「あたくしたち、湖で、妖精たちと一緒に過ごしましたわ。
 そうでしょう?
 あの方たちだって、何も身に着けていなかった。
 今さら、気になさることはないのじゃありません?」

 老人は、そのことに初めて思い至ったという顔で星の娘を見たが、すぐにかぶりを振った。

「いや……やはり、いかんな。
 考えてもみなされ、皆で一緒に入るとなれば、どうしたって、君の姿も目に入るじゃろうが。
 同僚の、それも妙齢の女性と一緒に湯に浸かるなど、どうにもこうにも、居たたまれぬよ。」

「それも、そうですわね。」

 星の娘は、少し頬を赤くして言った。

「それでは、あたくしが女王陛下とご一緒しますわ。
 お話ししたことを、あとでおじいさまに伝えますから。」

「そうですか?」

 仮面の男は、どうもわけが飲み込めないという様子で言った。

「それでは、ここの浴場はとても広いですから、ご老人は、別のところでお湯をお使いになられるとよろしいでしょう。
 そちらには、後ほど、ご案内いたします。
 ――ああ、着きました、こちらです。
 さあ、どうぞ、お入りになってください。」

 いまや、あたりに立ちこめる湯気はいっそう濃くなり、湯のにおいも強くなっていた。

 仮面の男が、両開きのカーテンのように垂れ下がった白い布の端を持ち上げると、先ほどの霧を思わせるような真っ白な湯気が漂い出てきた。

「着替えはどうすればよろしいの?」

「用意はすべてととのっております。
 私たちは、本当にずっと長いあいだ、お客さま方をお待ちしていたのですから。
 そのままお進みください、さあ――」

 仮面の男に促されるまま、星の娘は、湯気に満たされた中へと踏み込んでいった。

 はじめのうちは、本当に先ほど霧に包まれたときのように、ほとんど何も見えなかった。

 手を前に突き出し、一足ごとに爪先で足元を探りながら進んでいくと、やがて少しずつ湯気が薄れてきて、自分が無数の円柱が立ち並ぶ広い通路のような場所にいることが分かった。

 床はこれまでのようにつるりとした乳白色の一枚板ではなく、ツタを図案化した模様が一面に刻まれ、それらの模様のすべてに金線がほどこされていた。

「お入りなさい。」

 と、奥から誰かの声が聞こえたような気がした。

 だが、その声はあまりにも小さく、まるで眠りに落ちる直前に耳元で囁かれた声のようにおぼろげで、星の娘は今の声が本当に聞こえたものなのかどうか、確信が持てなかった。

 通路の先に、上部がアーチ型になった出口が見え、そこを抜けたとたん、星の娘は目の前の光景に圧倒されて立ち止まった。

 彼女が立っている場所のすぐ足元から、幾重にも重なるようにして、白い床を色とりどりの湯の川が流れていた。

 湯の川はどれも高さが違い、そのふちはどれもなだらかに削られ、その上にはいくつもの橋がかかっていたが、先ほどの場所とは違って、それらの橋には欄干はなかった。

 そして何よりも圧倒的であったのは、それらの湯の川の向こうに、色とりどりの湯が流れ落ちる壮麗なカスケード――多段滝がそびえていることだった。

 その光景はまるで、巨大で複雑きわまりないシャンパンタワーのようにも見えた。

 古代の壮大な神殿か城がすっかり野ざらしになり、永の風雨にあちこちが削られてなめらかになり、そのあちらこちらで湯が湧いて、門という門、通路という通路から下へ下と流れ落ちているようだった。

 ところどころには門があり、噴水があり、ひさしや橋があり、半ばで途切れた水道橋があり、それらの全てから、どうどうと惜しげもなく湯が溢れていた。

 あちらは薄い水色、こちらは緑、菫色、乳白色、温かみのある桃色、橙、緋色に近い赤と、全ての湯船――というよりも湯だまりで色が違っていた。

 全ての湯は下段に流れ落ちるにつれて混じり合うのだが、絵具をといた水を混ぜ合わせたときのように色が濁ることはなく、むしろ薬草茶にブルーマロウの花弁を投じたときのように、紅茶にレモンを入れたときのように、成分同士が作用し合うのか、魔法のようにぱっと色彩が変化し、どこも美しく、それぞれに独特のにおいを漂わせていた。

 星の娘は温泉というものを知らなかったが、彼女はこの光景を目の当たりにしてすっかり感動し、このすばらしい湯にすぐにでも浸かってみたいものだと思った。

 まわりを見回すと、床が一段高くなったところがあり、編目も美しい籠がいくつか並んでいた。

 高くなった場所の中央には、乳白色の石でつくられた、ほっそりとした木の彫刻があり、その枝には精緻な針目でたくさんの葉の模様を刺繍した長いリボンがいくつもかかっていた。

 星の娘は身につけている衣服をためらいなく脱ぎ、籠に入れた。

 磁器のようになめらかで、バレリーナのようにほっそりとした裸身をさらしながら、彼女は少しのあいだ、長い銀色の髪をどうしようかと迷った。

 それから思い付いて、白い木にかかっていたリボンの何本かを抜き取り、細い指先で器用に髪に編み込み、頭のまわりにくるりと巻いて留めた。

 橋を渡り、色とりどりの湯の川があげるにおいのよい湯気を浴びながら、星の娘は、多段滝の一番下にあたる池のように広く浅い水色の浴槽にたどり着いた。

 そばには床から直接噴き上がる噴水があり、水色の湯が中空にかかる幕のようになっていた。

 星の娘は用心深く近付き、手で湯に触れてみて、ちょうどよい温度だと分かると、思い切って、落ちてくる湯の中に踏み込んだ。

 あたたかい湯が肌の上を流れ落ちていくにつれて、えもいわれぬ心地好さが体にしみ入り、星の娘はほうっと息を吐いた。

 肌を撫でて汚れを落としてから、緩やかな階段を降り、広く浅い浴槽に湛えられた水色の湯の中に踏み込んでいった。

 座ると、湯の深さはちょうどみぞおちの下あたりになった。

 爽やかなにおいのする湯は、熱くもぬるくもなく、ちょうど心地よい温度で、これならばいつまででも浸かっていられそうだと思った。

「いい気持ちでしょう。」

 上のほうから、そんな声が聞こえた。

 いつもの彼女であれば驚いて飛び上がったところだろうが、湯に浸かってすっかりくつろいだ気持ちになっていた星の娘は、湯の中で後ろに手をつき、おもむろに顔を上げて声の主を探した。

「お湯に浸かっていると、本当に、とても気持ちがいいわね。」

 また、声が聞こえた。

 星の娘がいるところよりも三段ほど上の、石造りの門があることによってまるで額縁にはまったように見える場所から、ひとりの女性が星の娘を見下ろして微笑んでいた。

 その女性は片腕をゆったりと浴槽のふちにあずけ、首をひねってこちらを見ていた。

 その髪と目は、まるで陽光を受けたサファイアのようにあざやかな青色をしていた。

 若いとは思えなかったが、若くないというふうにも見えず、ただ、美しい大人の女性だと星の娘は思った。

 彼女は、水色の湯の中に立ち上がり、言った。

「二の女王陛下でいらっしゃいますのね。」

「ええ。」

 女王は親しげに頷きかけ、居ずまいを正して礼をしようとする星の娘を片手の仕草で押しとどめた。

「でも、そんなことは、どうでもいいのです。
 ここは、寛ぐための場所。
 ここのお湯は、とてもいい気持ちでしょう、においもいいし。
 よければ、上がっていらっしゃい。
 ここは、とても眺めがいいの。」



【庭の王国への旅37へと続く】


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